競馬界のプリンスと呼ばれ、今もなお騎手界、いや競馬界の頂点にいる武豊(たけゆたか)騎手。彼は容姿や成績だけで「プリンス」と呼ばれていたのではありません。
「プリンス」というだけあり、彼の出自、そして彼の一族にも豪華な名前が並んでいるのです。さて、武豊騎手の先祖や家族構成、出身や嫁さん・子供はいるのかなどを調べてみましょう。
目次
武豊騎手の先祖と祖父
https://twitter.com/scherzo_243/status/764470133645463554
<武豊騎手の祖父・芳彦氏>
武豊騎手の先祖は薩摩国(現在の鹿児島県)にあった武家(たけけ)が元と言われています。
薩摩藩のお侍さんだった武家に産まれたのが武豊騎手の祖父・武芳彦(よしひこ)氏であり、氏は鹿児島から北海道の函館に渡り、戦後には太平洋戦争で中断された北海道の競馬を復活させ、北海道の馬主協会の会長も勤めた競馬業界の名士でした。
そして、この芳彦氏の兄弟や息子たちが戦後の競馬業界で活躍していくことになるのです。
武豊騎手の父・武邦彦騎手と豊騎手の出身
オジュウチョウサンの騎手が武豊騎手に決定❗️
この写真の騎手は武豊騎手の父、武邦彦さんです。ちなみに、騎乗している馬は有馬記念を優勝した時のトウショウボーイです。#有馬記念#オジュウチョウサン#武豊#武邦彦#トウショウボーイ pic.twitter.com/cYy9NijI33— タカ (@rudoyuu) December 1, 2018
<武豊騎手の父、武邦彦>
武邦彦氏の出自
そして、その名士であった芳彦氏の三男として産まれ、騎手になったのが武豊騎手の父・武邦彦(くにひこ)氏です。
武邦彦は叔父・武平三(へいぞう、芳彦氏の弟)調教師に誘われて騎手となり、1957年に騎手としてデビューしました。この時に函館から京都に移住し、そこで三男・豊も産まれているので、武豊騎手の出身は京都ということになりますね。
「魔術師」と呼ばれた男
邦彦はデビューして5年で一流騎手の仲間入りを果たし、その後も一流レースを勝ち続け、1972年にはロングエース号で日本ダービーを制覇するなど、一流騎手として活躍を続けました。
中でも名馬として名高く「天馬」とあだ名されたトウショウボーイ号や、強豪・キタノカチドキ号などのメイン騎手を務めたことが有名です。
その紳士的な容姿とルールを守ったフェアな騎乗方法、そして不利な馬でもいつのまにか勝たせてしまう手腕から『ターフの紳士』『魔術師』とあだ名される、1960-70年代を代表する騎手として活躍しました。
そして1987年には騎手を引退、その後は名馬・バンブーメモリー号を送り出すなど、調教師として長く活躍しました。武豊騎手がデビューしたのも1987年なので、騎手界に親子で入れ替わりで関わる形になったのです。
武豊騎手の弟・武幸四郎調教師
邦彦さん死去を報じる新聞の写真は調教師としての最後の勝利。
(鞍上は息子の武幸四郎) pic.twitter.com/VP1UTWKygf— ワトソンくん (@watsonkun) December 29, 2018
<武邦彦調教師と武豊騎手、弟の幸四郎騎手>
弟も天才だった?!華麗なるデビュー戦
そして、武豊騎手の弟が武幸四郎(こうしろう)騎手です。武豊騎手は邦彦氏の三男であり、そして幸四郎は四男として産まれ、兄・豊が騎手として活躍するのに触発されて騎手となりました。
幸四郎騎手はすごい記録を持っており、なんと、デビュー2日目で重賞(G2)のマイラーズカップを勝つという、重賞勝利までに費やした日数の最短記録を持っています。
当時のマイラーズカップの賞金は6100万、騎手は5%がもらえるので……18歳の若者が、社会人デビュー2日目で賞金300万円(!)を獲得したことになります。すごいですよね。
現在の武幸四郎調教師
その後も武幸四郎騎手はG1などを勝ち続け一流騎手となりましたが、騎手としては長身(177cm)であり、体重を50kg代に保たなければいけない騎手という職業の宿命である減量に苦しみ続けました。
そのため、兄よりも早く引退し、現在は調教師として活躍しています。多くの馬を扱っているため、兄の武豊騎手が幸四郎調教師が調教する馬に乗ることもありますが、幸四郎調教師曰く「兄が怖くて、乗りかたの指示なんてとてもできない」そうです。
華麗なる武一族
https://twitter.com/lionlion1018/status/943086190877536258
<そっくりな武豊騎手と父・邦彦氏>
武豊騎手が「プリンス」と呼ばれていたのは、このように一族がみんな競馬業界人だった、ということがあります。
祖父は馬主として力を持っており、父は元名騎手で名調教師、叔父や親戚にも競馬業界の関係者が多くいた武豊騎手は、デビューしてすぐに強い馬に数多く乗せてもらうことができました。
これは、祖父や父に恩がある競馬関係者が多数いたからであり、言わば「コネ」があったということになりますが、コネも実力のうちとよく言われるように、武豊騎手はこのチャンスを活かし、デビューしてすぐに天才騎手と謳われるようになったのです。
弟の幸四郎調教師も父・邦彦氏の厩舎に所属し、デビュー2日目で重賞を勝っていることから、この「コネ」をうまく利用したと言えるでしょう。このように、武家は競馬業界に多数の名士を送り込んだのです。
武豊騎手の嫁さんは元アイドル?!
佐野量子 – (7) ファースト・レター (1985) RCA RHS-192
今日のおめざ盤。JRA武豊騎手が夫である彼女が芸能界にデビューしたのは84年に女優としてであったがその翌年に本作でアイドル歌手としてもデビューしている。かなりの枚数のシングルを出しているが歌唱力は……(´・ω・`) pic.twitter.com/E8ybwH4gk6— ささもひょんⁿ@赤腹魔王 (@yukihirosasamo) May 30, 2019
<アイドル時代の佐野量子さん>
さて、武豊騎手の奥様は、元アイドルの佐野量子(さのりょうこ)さんです。
量子さんは80年代のアイドルブーム(松田聖子さんとかの時代ですね)の終わりかけのころにデビューし、歌やドラマなどに活躍したのですが、なんといってもその「天然ボケ」な性格が受け、バラエティ番組に多数出演しました。
80年代後半になると、井森美幸や森口博子などの「バラエティ番組によく出るアイドル=バラドル」が大流行しましたが、量子さんはその先駆けとして活躍したのです。その後1995年、27歳の時に武豊騎手と結婚して芸能界を引退しました。
武豊騎手に子供はいる?
https://twitter.com/120915Jp/status/664338164027277312
<武豊騎手と量子夫人の様子>
さて、結婚してすでに20年以上が経過し、仲睦まじい夫婦として有名なお二人ですが、残念なことに子供はいません。
武邦彦、豊、そして幸四郎と近代の競馬業界に3人も名騎手を送り出した武一族だけに、「武家の3代目(騎手)」がいないことが競馬業界では残念がられています。
「いれば必ずスターになれたのに……」と思う人はたくさんいるのですが、量子さんはすでに50歳。さすがに今からは難しそうです。
ただ、幸四郎調教師は実は40歳でまだ未婚であり、もしかしたら幸四郎調教師の子供が「武家の3代目」としてデビューし、スーパースターになるかもしれません。
ただ、それは最短でもあと20年はかかる気の長い話ですが……。
【まとめ】武豊は嫁さんと子供は?先祖や家族構成と出身は?
・先祖:薩摩国(鹿児島県)の武士の家
・出身:鹿児島→北海道→京都府
・父 :「ターフの魔術師」と呼ばれた名騎手・武邦彦
・弟 :一流騎手で、現在は調教師の武幸四郎
・妻 :元アイドルの佐野量子
・子供:残念ながらいません
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