武豊(たけゆたか)騎手は、昭和・平成・そして令和を通じてずっと競馬界の第一人者として、その先頭をひた走ってきました。

その中で、彼は数々の名言や感動のエピソード、逸話を残してきました。そんな彼の座右の銘や、同期の蛯名正義騎手、弟の武幸四郎調教師などとの面白いエピソードを紹介いたします。

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武豊騎手の名言

<ディープインパクトに騎乗する武豊騎手>

パーフェクトですよ。走っているよりも飛んでいるような感覚

日本競馬史上、最強の馬と言われたディープインパクト号の強さを表した名言です。

馬は「走る」ものですが、「ディープインパクトは『飛んでいる』ようにレースをする」と武豊騎手が表現してからは、ディープインパクト号の走りは「飛ぶ」と各メディアで言われるようになりました。

他の誰にも渡したくありません

武豊騎手が初めてG1(ジーワン、競馬のレースの中で最も権威ある賞)を勝った馬、スーパークリーク号について評した名言です。当時まだ19歳の武豊騎手はその時すでに天才として知られており、何頭かの馬への騎乗依頼が来ていました。

その馬たちの様子を見に栗東トレーニングセンター(りっとう。滋賀県栗東市)に行ったのですが、その際、馬房(馬が普段いる部屋)から首を伸ばし、武豊騎手の服を掴んで離さない馬がいました。

その馬、スーパークリーク号に運命を感じた武豊騎手は彼を選び、そしてそのあとG1を何勝もしました。そんな強い結びつきがあった、初めてG1を勝たせてくれた馬に送ったのがこの言葉です。

かしわで勝って、ケンタッキーでも頑張りたいですね

世界中を飛び回る武豊騎手、その週は千葉県柏市にちなんだ重賞「かしわ記念」に乗った後、アメリカ・ケンタッキー州にある競馬場へと遠征する予定でした。その時にマスコミから意気込みを聞かれた時に述べたのがこの名言です。

主に関西圏で鶏肉のことを「かしわ」と言うことがあります。また、ケンタッキーといえば日本では「ケンタッキー・フライド・チキン」ですよね。その「鶏肉繋がり」をユーモアたっぷりに述べたこの台詞は、武豊騎手のアドリブ力、コメント力の凄さを表す名言の一つとされています。

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武豊騎手の感動のエピソード

<サイレンススズカ号に騎乗する武豊騎手>

愛馬との出会い

1997年の末、武豊騎手はサイレンススズカ号と出会います。サイレンススズカ号は武豊騎手に出会うまでは勝ったり負けたりを繰り返す普通の馬でしたが、武豊騎手が騎乗後、見違えるように走り出し、凄まじい勢いで大レースを勝ち続けることになります。

そしてついにサイレンススズカ号と武豊騎手は、G1「天皇賞」(てんのうしょう)に挑むことになります。サイレンススズカ号の圧倒的な強さに、マスコミは「誰が勝つかではなく、サイレンススズカがどうやって勝つかというレースだ」と書きたて、勝った後には海外の大レースへの挑戦も予定されていました。

突然の別れ

ですが、万全の状態で望んだはずの天皇賞で、サイレンススズカ号は突然脚を止めてしまいます。慌てて馬から降りる武豊騎手。しかしその時、サイレンススズカ号の脚の骨は粉々に砕けており、安楽死させるしかないほどの重症を負ってしまっていたのです。

強さに惚れた愛馬の突然の死……その夜、武豊騎手が浴びるように酒を飲み、落胆している姿を見た関係者が多く存在しています。武豊騎手が後に語ったところによると「いくら飲んでも、全く酔えなかった」というくらいの落胆だったそうです。

「サイレンススズカが後押しをしてくれた」

そして1年後の天皇賞、同じレース、同じ舞台で武豊騎手はダービー馬・スペシャルウィーク号に乗り、このレースを快勝します。

その時に武豊騎手はインタビューで「ゴールの瞬間、サイレンススズカが後押しをしてくれた」と感慨深くコメントをしていました。

武豊騎手と蛯名正義騎手

<合同で誕生日を祝った武豊騎手と蛯名正義騎手>

武豊騎手の親友の1人が蛯名正義(えびなまさよし)騎手です。関西に所属している武豊騎手と、関東に所属している蛯名正義騎手は騎手の学校での同期。デビュー後、互いに実績を積み上げ、互いに関西と関東のトップジョッキーになりました。

武豊騎手は恵まれた家庭環境(競馬界にコネが深い)を持ち、ずっと競馬界のトップを走ってきただけに嫉妬されることも多く「武豊がすごいのではなく、強い馬に乗っているだけだ」と陰口を叩かれることもありました。

しかし、同期の蛯名正義騎手はそういった話を聞くたびに「『武は強い馬に乗ってるから勝てる』というのは、騎手でないやつが言うこと。騎手は強い馬を頼まれることが大事なんです。彼は強い馬に乗って、ちゃんと結果を出してくる。」と言っているそうです。

関東のトップジョッキーが言うことですから、それに逆らうことができる人は少ないでしょう。この言葉からも、2人の絆が伝わってきます。

武豊騎手と武幸四郎調教師

<近年の武豊騎手と弟の武幸四郎調教師>

武豊騎手の10歳年下の弟が武幸四郎(たけこうしろう)調教師です。兄の後を追うように騎手となった武幸四郎騎手は、武豊騎手も達成できなかった「デビュー2日目で重賞を勝つ」など、著名な成績を残して2016年に騎手を引退し、調教師となりました。

兄弟とはいえ騎手時代は同じレースを争うライバル。普段は兄、弟としての姿を見せない関係ではありましたが、逆にそれをネタにすることもありました。

ある時の騎手とファンの集いのイベントで公開したこの動画は、普段は「兄弟」として振る舞わない武兄弟の姿とのギャップが爆笑を誘ったそうです。

武豊騎手の逸話

<岐阜県武豊町の公式twitter>

武豊騎手は「たけゆたか」と読みますが、実は「武豊」という地名があります。よみかたは違いますが「武豊町」(たけとよちょう)という町が愛知県の知多郡にあり、「武豊」でネット検索をすると、よく検索結果に出てきます。

この町と滋賀県栗東市出身の武豊騎手には特に縁はないのですが、「武豊」という同じ名前の縁で1989年と1999年の2回、1日町長として招かれたことがあるそうです。

1989年にはまだ20歳の武豊騎手、その若さで1日町長として呼ばれたほどですから、当時の武豊フィーバーがどれだけすごかったかというのがわかりますね。

武豊騎手の座右の銘

<テレビで対談する武豊騎手、タレントの石橋貴明、作家の伊集院静>

勝って驕らず、負けて腐らず

武豊騎手がタレントの石橋貴明さんとテレビで対談した時に、自分の座右の銘的な形で紹介していたのがこの言葉です。武豊騎手は現役30年で4000勝以上を上げていますが、それでも通算の勝率は2割以下。

騎乗機会のうち、15000回以上は負けているのです。そんな騎手稼業において最も大切なのが、勝ったからといって調子に乗らず、そして負けたからといって悔やむこともなく、そして常に平静にしているいうのが、武豊騎手の信条なのです。

【まとめ】武豊騎手はなぜ競馬界の第一人者なのか

武豊騎手の名言やエピソード、逸話や座右の銘などを紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。

ただ騎手として優れているだけでなく、人の心を動かすような名言やエピソードがあり、そしてユーモアを持ち合わせていることが、彼を競馬界の第一人者として至らしめている理由の1つなのです。

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