NHK大河ドラマ「いだてん」でひと際異彩を放っていた男たちが話題となっています。その勇ましい男たちが集まった団体の名前は「天狗倶楽部」と言って、実在した日本初のスポーツ団体。近代日本スポーツの黎明期に率先して「スポーツやろうぜ~!」と、新しい世界に飛び込んでいった先駆者集団なんですよ。

彼らがいなければ、日本のスポーツ界はどうなっていたことか…日本人がスポーツで世界に羽ばたくための土台を築いてくれた人たち。何事も「はじめ」をつくる人々にはドラマがあります。天狗倶楽部、どんな集団だったのか気になってきませんか?

今回は愉快・痛快な天狗倶楽部について紹介していきます。

スポンサーリンク

実在した天狗倶楽部の名前の由来とメンバー構成

 

この投稿をInstagramで見る

 

大河ドラマ「いだてん」さん(@nhk_idaten)がシェアした投稿

天狗倶楽部が「いだてん」に登場したのは第4回「小便小僧」でした。センセーショナルな登場シーンはわずか10秒足らず…しかし、視聴者の脳裏に彼らの姿がしっかりと焼きつきました!放送が終わるとSNSは、天狗倶楽部の話題でいっぱい。世間をざわつかせたんです。

天狗倶楽部メンバー構成

 

この投稿をInstagramで見る

 

Akkoさん(@akkoo_oo25yo)がシェアした投稿

1909年(明治24年)ごろ、生粋の野球バカともいえる押川春浪を中心に集まって野球の試合が行われたのが天狗倶楽部のはじまり「東京倶楽部」です。「いだてん」では押川春浪の役を武井壮さんが演じています。

全盛期の天狗倶楽部メンバーはなんと100人以上!

「来るもの拒まず、去る者追わず」精神で、リーダー的存在の春浪でさえ「天狗倶楽部がどうやって、いつ頃はじまったか、何人いたのかわからない」というアバウトさ。もっとはっきりくっきり名簿等つけたりして管理するような集団かと。明治時代のイメージが変わりますよね。

「文明開化」は若者の心も開放的にしていったのだと、天狗倶楽部の自由なシステムが現しているように思います。本当に楽しくスポーツをするために集っていた粋な集団だった…ということですよね。

押川春浪(冒険小説家)…「いだてん」武井壮

中沢臨川(文芸評論家)…「いだてん」近藤公園、ストックホルム五輪代表選考会マラソンの距離測定を行った人物

・水谷竹紫(劇作家、演出家)

・弓館小鰐(新聞記者、随筆家)…日本最古のテニストーナメントの開催を実現した人物

吉岡信敬(早稲田大学応援団初代団長)…「いだてん」満島真之介

・鷲沢与四二(新聞記者)

・太田茂(別名義に大田四州、太田志蹴。ジャーナリスト)…スポーツ評論の草分け的人物

・平塚断水(新聞記者)

・押川清(押川春浪の弟。早稲田大学野球部三代目主将)…プロ野球創生に大きく関わった

・飛田穂洲(早大野球部五代目主将)…「学生野球の父」と呼ばれた人物

・三神吾朗(早大野球部)…日本人初のプロ野球選手

・西尾守一(早大野球部)

・野々村納(早大野球部)

・伊勢田剛(早大野球部)

三島弥彦(陸上選手)…「いだてん」生田斗真、日本人初オリンピック選手

明らかになっているメンバー構成をみても、多種多様な人材ばかり。特に記者や作家などの文化系統の人物たちが天狗倶楽部に参加していたのは驚きです。他には、弁護士や飛行機研究家、画家や作曲家、そして魚屋もいたとか…本当にバラエティーに富んでますよね。高みを目指す若者たちの交流の場でもあったと言われているのも頷けます。

因みにメンバーの呼び方は、名字の後に天狗をつける「○○天狗」というもの。愛称呼びがあるなんて、なんだか明治の若者を身近に感じます。心から楽しんでいるのが想像できますよね。

天狗倶楽部は、現代のLDHグループのようですよね。明治時代のスターが寄せ集められた集団、かっこいいですよね~ますます興味が湧いてきませんか。

天狗倶楽部って名前はまさかの勘違いで決定!?名前の由来とは?

はじめは「東京倶楽部」と名乗っていたのですが、ひょんなキッカケで「天狗倶楽部」という名になります。

押川春浪や天狗倶楽部の実話を元に描かれた木内昇・著の小説『球道恋々』に、天狗倶楽部という呼び名誕生のエピソードが描かれています。

「<天狗ティーム>…東京倶楽部のことがそう書かれている。そういえば試合後の酒席で、押川(春浪)は徳利(とっくり)から直に酒をあおった勢いで「我が党は天軍だ、向かうところ敵無しの天軍ティームだ!」と気炎を上げていたのだ。」

どうやら、この酒宴での春浪の「天軍ティーム」発言が由来のようです。このとき「天軍」を「天狗」と聞き間違えた誰かが万朝報の記者に語り、「天狗ティーム(天狗倶楽部)」と報道。春浪はこの聞き間違いをいたく気に入り「天狗倶楽部」となりました。ネーミングまで大らかですよね~細かいことにはこだわらない、そんな自由さ感じます。

野球を中心にテニス、柔道、陸上競技、ボート競技など活動内容は多岐にわたっていた天狗倶楽部。この活動の内容や、活動後に行われる宴会の様子なども含め、雑誌や新聞の記事として面白おかしく書かれることが多かったようです。名前の由来エピソードひとつとっても、こんなにユニークなのですから、確かに記事にされていたら読みたくなっちゃいますよね。彼らがなにかと「話題の人たち」だったということが分かります。

スポンサーリンク

「いだてん」で巻き起こった天狗倶楽部ブーム

 

この投稿をInstagramで見る

 

Kyosuke Ichijoさん(@ichijo_27)がシェアした投稿

いだてん14話「新世界」で、天狗倶楽部は突然の解散を迎えます。予想していなかったことに方々で「天狗倶楽部ロス」の声があがりました。なぜ、天狗倶楽部がこんなにファンを惹きつけたのか、気になりませんか?人々を虜にした踊りとエールの存在がありました。

話題になった天狗倶楽部の独特な踊りとエール!

 

この投稿をInstagramで見る

 

すぅさん(@su.toma107)がシェアした投稿

NHK朝の定番「あさイチ」で生田斗真さんが天狗倶楽部のエールを披露。MCの博多華丸・大吉さんたちと一緒に太鼓の音に合わせて踊りました。毎回クドカン作品では「脱がされる」と言っていた生田斗真さんが印象的です。それでも全然嫌そうじゃないんですよね~むしろ出演するのが嬉しそうにみえました。

この天狗倶楽部のエール、かなり個性的なんですよね。なんだかクセになるんです。「いだてん」のストーリーの要所に登場してきます。ストックホルムでも金栗(中村勘九郎)に三島(生田斗真)が激励をこめてこのエールしていましたよね。みていると元気出てくるこの踊り、きっとクドカンさんもお気に入りなのでしょう!

 

この投稿をInstagramで見る

 

大河ドラマ「いだてん」さん(@nhk_idaten)がシェアした投稿

とにかくこの天狗ポーズが巷で大流行!天狗倶楽部のエール踊りの締めの「決めポーズ」です。このポージングをして写真を撮る人が続出しています。確かに力強くてかっこいい!

元気の権化・天狗倶楽部のエールの振り付けは、ダンスカンパニー・コンドルズの近藤良平さんと、振付師の木下奈津子さんによるものだそうです。

「T!N!G!、T!N!G!。テング、テング、テンテング、テテンノグー。奮え、奮え、天狗!」

キャッチ―なものを毎回生みだしてくる宮藤官九郎さん。いだてんでも発揮されています。この天狗倶楽部の踊りとエールは、「いだてん」を象徴するものになりました。

未だに最先端!?大人気!TNGワッペン

天狗倶楽部はその出で立ちでも魅了。ユニフォームに取り付けられたTNGワッペンに注目が集まりました。TNGとは、「TNG=天狗」、言葉を省略してローマ字で表したもの。「いだてん」の設定で登場したドラマオリジナルの略し文字と思いきや…実は本当に天狗倶楽部が当時着ていたユニフォームなんですよ~明治時代にローマ字略し文化があったなんて、なんだか驚きです。

NHKスタジオパークに訪れたとき、クイズラリーを全問クリアした景品としてもらえるものらしいです。TNGのアイロンワッペン、密かに人気を博しています。

 

実は、天狗倶楽部のユニフォームの実物が見られる場所があるんです。船橋アリーナ内「吉澤野球博物館資料展示室」に、大村一蔵という人物が着用したユニフォームが展示されているんだそうです。当時の空気感そのままを見ることができると、天狗倶楽部ファンの聖地となっているようです。

【船橋アリーナ(総合体育館)】

(住所)〒274-0063 千葉県船橋市習志野台7-5-1

(受付時間)午前9時~午後9時まで

(休業日)12月29日~1月3日まで ※臨時休館日あり。詳しくは船橋アリーナのホームページをご覧ください。

明治から大正へ。天狗倶楽部、その後…

1914年(大正3年)、天狗倶楽部のリーダー的存在だった押川春浪が38歳で若くして病死

天狗倶楽部の活動はやや弱まり、さらに中沢臨川や柳川春葉など主要メンバーの死が続いたこともあって、1930年代(昭和初期)に天狗倶楽部は、自然消滅してしまいました。

自主性を重んじる「天狗倶楽部」らしい最後でしたね。それぞれが天狗倶楽部を卒業したことで、羽ばたいていきます。多くの若者が才能を開花させる前の礎となった集団だったんです。天狗倶楽部は消滅しても、天狗倶楽部の精神は深く心に刻まれていたのが分かります。

【まとめ】天狗倶楽部のメンバーや名前の由来は?踊りやエールと本当に実在したのか調査!

 

この投稿をInstagramで見る

 

Makoto Ichikawaさん(@makoto_ichikawa64)がシェアした投稿

明治を代表する個性的なエリート若者集団・天狗倶楽部、いかがでしたか。

ただただスポーツを愛する、体を動かすことを楽しむ、そんな粋な集団でした。まだ武士道精神の根強い世の中で、新しい文化を積極的に取り入れていった若者たちの息吹が感じられました。彼らがいなければ、今の日本スポーツはないといっても過言ではありません。そんな彼らのことを、同じ日本人として「誇り」に思います。

関連記事はこちら