NHK大河ドラマ「いだてん」、日本人初の五輪マラソン選手・金栗四三の生涯を通して「日本のオリンピック史」が描かれたドラマです。

日本が初めて参加したオリンピックは、スェーデンで開催された「ストックホルム五輪」、日本選手団は17日にも及ぶ時間をかけて北欧に参加しに行きました。その日本選手団の監督を務めたのが大森兵蔵という人物です。

今回は、イケメン大森兵蔵の岡山とYMCAの関係と、病気やお墓について等、紹介します!

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大森兵蔵はYMCA体育教授で明治のイケメン岡山人だった!

 

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「いだてん」で大森兵蔵を演じるのは竹野内豊さんです!竹野内さんの兵蔵、カッコ良かったですよね。特に口髭がダンディであんな竹野内さんなかなか見られない、貴重な姿でした。

大森兵蔵は数々の功績をあげ、容姿端麗・文武両道の人でした。そんな大森兵蔵について紹介していきます。

大森兵蔵とは…岡山とYMCAとの関係

大森兵蔵は、1876年(明治6年)岡山県備前国上道郡高島村(現在の岡山市中区)の素封家に生まれました。東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業後25歳で渡米し留学。

スタンフォード大学で「経済学」専攻しましたが中退。その後国際YMCAトレーニングスクール(現スプリングフィールド大)に入学し「体育学」を学びました。

留学時に知り合ったAnnie B.Shepley(アニーシェプレー、1856-1941)。大森兵蔵はアニーと1909年(明治42年)30歳のときに結婚、1911年(明治44年)アニーは日本に帰化し「大森安仁子」と名乗るようになりました。

1908年(明治41年)私財を投じて「有隣園」という福祉施設をつくりました。妻・安仁子と一緒に運営していました。当時としては珍しいセツルメントハウス。ふたりの創設した「有隣園」現在は無くなっていますが、跡地(東京都新宿区)に記念碑があります。

※セツルメントは、診療所、幼稚園などの庶民生活向上のための福祉活動のことです。

大森兵蔵シュッとしたイケメンの画像!話題になりました。どうでしょう、どことなく竹野内さんに似ているように感じませんか。

1909年(明治42年)、東京YMCAに就職。初代体育指導主事となった大森兵蔵によって北米からバスケットボールとバレーボールが日本に持ち帰られました。

兵蔵は色んな大学に自ら出向くなどして広めるために精力的に活動、その尽力もあって日本で人気の二大スポーツが普及しました。プロリーグもできるほど、浸透した2つの競技が大森兵蔵によってもたらされたなんて凄いですよね!

※YMCAは、「Young Men’s Christian Association」の略語で、日本語では「キリスト教青年会」です。主に青年の生活指導・教育・福祉などを行う世界規模の非営利団体。東京YMCA創設は1880年(明治13年)。

就任から1年、1910年(明治43年)大森兵蔵は主事を辞職。兵蔵は、日本人の体格向上には、幼少期からの運動が必要と考えていました。スポーツ・体育の推進のため体育館とプール建設を計画します。

しかし、予算がなく、当時の基本的な考え方・身体的訓練は軍隊で行われるものという観点から、兵蔵の考えは批判の的となりました。その後は、妻と一緒にYMCAで英語講師として働きました。この時期から、病気を患っていたのではないか…と言われています。

大森兵蔵、イケメンすぎ!?と話題

大森兵蔵が竹野内さんに負けず劣らずのリアルイケメンだった…という事実。特に安仁子さんが描いた兵蔵の絵が話題となっているんです!

 

大森兵蔵の奥さん・安仁子が描いた「大森兵蔵画」…現代にも通用する端正なお顔。この容姿に多くの女性がザワついたんです!そしてなによりもこの絵からは、安仁子さんの愛が伝わってきますよね。

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いよいよ繋がる五輪と大森兵蔵

https://www.gllc.or.jp/profile/history/ohmori.html

大森兵蔵は、体育教育の先駆者です。当時の日本で本場の陸上競技を実際に見てきた唯一の存在。とても稀有な存在だった大森兵蔵。

短距離でクラウチングスタートが採用されたのも大森の功績と語り継がれています。

羽田の選考会と大森兵蔵

嘉納治五郎が設立した「大日本体育協会(現日本スポーツ協会)」、大森兵蔵は理事に選ばれ、嘉納と一緒に日本オリンピック委員会(JOC)を設立します。オリンピック参加に向けて選考会を開くことになります。

大森はストックホルムオリンピックに向けた選手派遣事業に着手、「羽田運動競技場」の用地交渉や設計、アメリカ留学で学んだ知識を活かして運動場の整備に至るまでを行います。選考会実現の立役者ですね。日本のストックホルム五輪参加は大森兵蔵の力なくしては実現しなかったでしょう。

病気を患いながら、命を懸けた大森兵蔵のストックホルムまでの道。

選考会の結果、金栗四三と三島弥彦がオリンピック選手として決定します。金栗四三に大森夫妻は、五輪に行くために英語や必要な教養をレクチャーします。そして、留学経験のある大森兵蔵は日本選手団監督として同行することになるのです。

過酷な長い旅で兵蔵の肺結核の病気は悪化してしまいます…ストックホルムにはやっとのことでたどり着きますが、現地ではほとんど部屋から出ることができないほど深刻な病状でした。

最期まで病気と戦いぬいた大森兵蔵、アメリカで亡くなる

ストックホルムでは大森は練習に参加できず、金栗と三島だけで五輪前の調整が行われました。決してよくない体調でしたが、マラソン競技の日、大森は交通手段が無く歩いてまでも応援に競技場に駆け付けたといいます。

病気は悪化、兵蔵は帰国を延ばし、しばらくストックホルムで静養します。

1913年(大正2年)五輪からの帰国途中、結核のため、日本にたどり着くことなく…安仁子の親戚のいるアメリカのパサデナで亡くなりました。このとき大森兵蔵は37歳でした。

大森兵蔵のお墓は大切に雑司ヶ谷へ…

大森兵蔵の遺骨は、愛妻・安仁子とともに日本へ戻りました。お墓は、東京都豊島区の雑司ヶ谷霊園にあります。

大森のめいの孫に当たるのが、現在の生涯学習開発財団(東京)の佐藤梨奈事務局長です。兵蔵の福祉の精神繋がっています。

そして大森兵蔵の「想い」は、妻・安仁子から姪・藤原澄子とその夫・松田竹千代へ…竹千代は文部大臣として1964年(昭和39年)東京オリンピック組織委員となり、日本初のオリンピック開催へと繋がっていきました。

大森兵蔵の志は、今もなお、世代を超えて受け継がれています。

【まとめ】大森兵蔵の岡山とYMCAの関係は?病気や墓とイケメンの画像を調査!

 

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若干37歳でこの世を去った大森兵蔵、もしもっと長く生きていたなら…と考えてしまいます。功績を辿ってきましたが、素晴らしい人物ですよね。容姿だけでなく、生き方までもカッコイイ

明治のスーパースター金栗四三や三島弥彦が活躍した背景には、こうした「日本をよくしよう!」という志を持った人の礎があったということを忘れないでいたいです。

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